2009年08月28日

英太の育成録&出来事

8月28日 金曜日

前回のときに、嫁とけんかしたことを書いたが、その日のうちに、どうも自分の実家に帰ったみたいで、今日で5日目になる。
お互い連絡もしていない。 
ここはやはり自分が折れるべきなんだろうか????
子供の顔が見れないのは、やはり寂しいふらふらふらふらバッド(下向き矢印)

それと昨日仕事が終わってから以前バイトしていた職場の後輩と、スーパー銭湯に行ってきた。
お風呂上りに、館内でビールを飲みながら食事をした。
たまには、友人とこういうところで飲むのも良いもんだ。とてもビールが美味しかった。
この友人も、心の病と言うか、仕事からのストレスがたまり、プチ家出をしたみたいだ。


育成録久しぶりに書きます。
今回は、23歳になってからの副業の話からです。
副業といっても、お金がないから手軽に始めれるものからやりました。
まず最初は、化粧品販売です。自分の親友がやっていて、そこから話が来て、やり始めたのですが、はじめに20万円の代理店の権利金を払ってからのスタートでした。
仕組み的には、ねずみ講すれすれの感じでした。
自分の下にも、代理店を増やしその代理店の、収入の一部がもらえるという感じです。半年くらいやりましたが、自分が直接売った化粧品の販売の差額くらいしか、儲けが無かったです。
月に2〜3万くらいでした。
後は、この頃ダイヤルQ2が流行っていたので、Q2の製作会社に、音声を作ってもらいました。題名が、ナースのオナニー実録
いかにもうさん臭いが、5分程度のもので、5万くらい取られた。
そしてこの音声を、不特定多数の人に聞いてもらうために、週刊誌等に広告を出した。これがまた高く、何人かで共同で出した。
だが実際の入金は、NTTが代理で請求作業を行い自分の口座に入るのは3ヵ月後だ これは思い切り赤字になった。
それに輸入化粧品の通信販売もやったが、これもまたぜんぜん儲からずもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)
今思うと、馬鹿な事していたと思う。

そしてこの頃、お袋と姉と姪っ子たちと食事をしに行き、姉がぜんぜん食べれないと言うので、一度病院で見てもらうようにいうと、検診に行ったみたいだ。すると大きな病院で再検査になり
家の近くの名古屋市立大学病院に行った。
この頃の姉夫婦は、仲が悪く旦那は、ほとんど家に帰ってこない状態だった。
そんな中、病院から1本の電話が家にかかってきた。
内容は、一大事になる事だった。
次回また続き書きます。
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2009年08月30日

英太の育成録&出来事

8月30日 日曜日

朝から、暑く残暑な一日になりそうだ。
テレビでは、毎年恒例の24時間テレビがやっている。
今回のマラソンランナーの イモトは 日テレのイッテQでもづーっと見てきているだけに関心を寄せている。
最近は、嫁と子供が実家に帰ったままだから一人暮らしが続いている。 2,3日は良いがなんか寂しい気もする。
一度電話で話したが、涼しくなったら帰ってくるらしい。
電話の内容も、引落としがあるから、銀行にお金入れておいてだと
明日は、仕事だから早起きして弁当でも作ってみるか、、、
あ〜今日も一日暇になりそうだ


さぁ育成録続き書きます。
前回姉が、大学病院に精密検査に行き、自分の家に一本の電話がありお袋と自分の2人で病院に行き先生に詳しい話を聞くと、、、
まず  びっくりだ落ち着いて聞いて下さいと言われ、大体の察しがついた。まず最初に聞いた言葉は、癌ですの一言大腸の大部分に転移しているみたいだと言われ自分としても頭の中が、真っ白になってきた。次に余命が3ヶ月と言われた。
この時点で姉は、胃潰瘍と言うことで入院していた。
さすがに、いつもは気丈なお袋もうっすら泣いていたのを覚えている。この日は忘れもしない平成7年4月26日だ。
このことにより、生活が一変していく。
それとは別に、今まで住んでいた建設会社のマンションだが、お袋が、管理人が要らないとこの7年の3月に言われ翌月の4月いっぱいで出て行かなければならず ちょうど運が悪いことに、病院に話を聞く前日に引越しを済ませたとこだった。
なぜ運が悪いかというと、引っ越した翌日に姉が入院して、姉には2人の子供がいて、旦那はこの時点では、完全にどこかに言ってしまった状態で、子供の面倒をお袋と自分で見ないといけなくなった。
姉は、この時点では、母子家庭の申請が通っており病院の代金は、ほとんどかからなかった。
それと自分たちが引越したマンションは、以前の住んでいた今池から車で5分くらいの今では名古屋高速の出入り口のある吹上というところだ このマンション偶然にもオーナーが中学3年の時の同じクラスの子の所の持ち物だった。
だがこのマンションに住む事になったのは、親父1人だけだった。
自分とお袋は、姉の子供の面倒を見るため、現在自分が住んでいる市営住宅にやってきた。
さぁこれからは、大変な毎日になると覚悟を決めた。
次回は姉が入院してからの事を書きます。
ラベル:癌 家出
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2009年09月02日

英太の育成録&出来事

9月2日  水曜日

今日は仕事は、交代で休みの日だ
結局8月は、学生のちょっとしたバイト代ぐらいしか収入が無かった。もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)
そう言えば仕事の現場に、人が一人増えた でも土木の仕事を、したことが無い人だからまぁ微妙といえば微妙だ、、、
いまだに嫁と息子は帰ってこない。
やはり仕事が終わってからの、ご飯の用意、洗濯は大変だ
政治の世界も自民退廃で、民主圧勝に終わったが、民主党はマニフェストに掲げた公約は実行してくれるのか?
僕らがいる土木業界には、絶対プラスにはならないだろうな



さぁ育成録続き書きます。
姉が結局癌で入院して、引越したマンションには住めず、姉が住んでいた市営住宅で、姉の子供2人とお袋の4人での生活になった。
この時2人の姪は小学校1年と2年生だが鍵っ子になってもらった。
お袋は、日中は病院で姉に付き添いをしていた。病院の家政婦をしていたからお手のもんだ。
自分はと言うと、会社に理由を話しなるべく早く退社できるようにしてもらった。だから今までは営業の仕事だったが、配送の仕事にしてもらった。だがほんとに助かった。普通の会社なら給与が少なくなるが、逆に少し多くしていただけた。ほんとに今でも感謝している。
話は戻り、早く家に帰れるといっても夕方の6時くらいだ
それから、みんなの夕食を作らないといけない、後は子供たちの勉強を見てあげたりしていた。休みの日には、子供たちを連れて病院に行った。
姉は、この時点では、自分は胃潰瘍なんだとほんとに思っていたみたいでいたって元気だった。

話がまた飛びますが、この時付き合っている子にも自分の家庭の状況を話、あまり遊べれない事を言った。
それでも向こうから来てくれて、子供たちともよく遊んでくれた。
そして入院してから2ヶ月が過ぎ、経済的にもかなり厳しくなりカードでお金を借りるようになった。
というのも、自分の住んでいない、マンションの家賃光熱費を約10万支払わなければならず本当にひーひー状態だった。
それと、ブログに書き忘れたが、自分がサイドビジネスをやり始めた頃、姉の旦那に、約150万ほど貸してそのままドロン 
見つけたらいろんな意味もあるが、ぼこぼこにしてやろうと思っていた。姉が入院しているときもいろいろ調べたりしたが、今思ってみれば本人が勤めていた会社までたどりついていたが、会社の人にそんな人うちにはいないと嘘を言われ断念
当然このお金も、銀行で自分が借りたものだが、支払いするのは自分だバッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)
姉も2ヶ月過ぎた時点で、うっすらわかってきたみたいだ。
姉が言った言葉で今でも頭に焼きついていることがある。
大部屋にいるとき、姉が通路を挟んだむかえの個室に入ったらもう終わりなんだよといっていた事だ。
凄くこの言葉を聞いた時は複雑だった。そうなんです実際本人もこの個室に入ることになってしまったんです。
次回この続きより書きます。
ラベル:家賃
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2009年09月06日

英太の育成録&出来事

9月6日 日曜日

9月に入ったと言うのに、連日30度を超える日が続く早く涼しくなって欲しいもんだふらふらふらふら
最近は、ブログもさぼりがちだ、なるべく更新を早くします。
それと今日、嫁と子供が帰ってきます。だから今腕にせいをかけて、美味しいカレーを作っています。
それと、家に一人でいる時に、お金を使いすぎた。
飯はほとんど外食、後パチンコ、スロットもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)
カードでお金借りてしまった。少しづつ返していくか
だけどほんとに、お金がない 情けない、、、、
今の現場の仕事だといつものお金の半分にもならない。
誰か、お金になる仕事紹介してくれexclamation&questionexclamation&question


さぁ育成録続き書きます。
前回は、姉が癌で入院して、個室に入ってしまったところで終わったからその続きだ
姉が自分で、その個室に入ったらダメなんだよなといっていたのに自分が入る事になったので、その時点で何か覚悟を決めたんだろうな
姉が個室に入ってから病院にいき姉の顔を見たら、なんか別人になっていた。顔からも笑顔が消えた。自分たちもどのように励ましたらいいかわからず複雑な思いだった。
家に帰り、癌に関する本をいろいろ買ってきては、読んでいた。
ある記事に目がとまり、その内容とは、ヨードの力でがん細胞が消えていった。という物だった。末期がんで医者からもダメだと言われた方が、奇跡的に治り元気になったとか、多数の癌が治ったとの記事が掲載されていた。治療をしている場所が東京だったため藁にもすがる思いで、そこに電話をしてみると、当然と言えば当然だが、本人さんが、東京のこの場所まで来ていただければいけないと言われ 泣く泣く断念した。
だけど姉の子供たちは、まだ小さいせいか今起きている状況を把握していないようだ。
お袋は毎日、病院に行き姉が体が痛いといっているので、マッサージをいつもしていた。
個室に入り1週間位した頃、か細い声で自分を呼んだので、耳を枕元に近づけると、子供の事を、頼んだよといった。自分もわかったと言った。それと、家のたんすの中に、通帳があるからこれからの足しにしてくれといい ちょっと穏やかな顔になった。
家に帰り、子供たちには、ママはもうちょっと早いけど天国に行くから、しばらくは、お兄ちゃんとおばあちゃんとで暮らすんだよといった。そうしたら2人とも うんだって なんか複雑だ、、、
そしてそれから1週間がたち、恐れていた最悪の結果が待っていた。
ちょうど入院して3ヶ月目の7月26日だ。
このときはさすがにお袋も、泣いていた。子供たちは、なんかあっけらかんとしていた。この姿を見ていたら無性に自分が泣けてきた。
さぁ実際には、姉がなくなったここからも大変なことになっていった。
次回また続き書きます。
ラベル:生活 貧乏
posted by えいた at 11:51| 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記、日常、一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

英太の育成録&出来事

9月10日  木曜日

今日は、朝晩は、とても涼しくて過ごしやすい。
暑い暑いとばかり言っていたが、やはり秋が一歩一歩近づいているのがわかる。
今週は今のところ月曜から今日の木曜まで連続して仕事をしている。
それと前にも書いたが、右の膝が痛くて痛くてたまらない 夜なんかは、膝の痛さで2,3回は目が覚めるようになってしまった。
ほんとに早く治って欲しいもんだ。

それともうひとつ、今日は10日で0の日と言うこともあり、道端には、警官が、いつもより沢山いたような気がする。
仕事の仲間も、運悪く2人シートベルトで捕まってしまった。
一人は、車に乗る時は、絶対と言うくらいシートベルトをするのに、たまたま移動が、近い距離だったのでしなかったらしい。
自分はと言うと、みんなとは、違う道を通ったので、運良くセーフでした。

さぁ育成録続きを書いていきます。
前回は、姉が入院してから3ヶ月目の平成6年7月26日に、無くなった。しばらくは、病室でぼーぜんとしていた。
すると、主治医の方から、今後の医療の飛躍のために、臓器の患部を、提供して欲しいと言われ、ほんとは、嫌だったが、こういう事で、この先一人でも多くの命が助かるのならと思い承諾をした。
すると、花代と言うことで、3000円と一枚の領収書を持ってきた。領収書は、当然こちらから病院側に書くもので、もって来た看護婦さんも、凄く申し訳なさそうにしていた。
自分もなんか後で、お金で臓器を、提供したみたいな罪悪感が出てきた。死んだ姉にもなんか悪いことを、したような思いが今でもある。
それから霊安室に、姉が運ばれ葬儀の準備をしなくてはいけないので
お袋が、互助会の仕事を以前していて、そこの互助会の会員に入っていたので、そこに電話をしたつもりがこちらも急いでいて、本当は、名古屋互助会にかけるはずが愛知互助会にかけてしまい、後者の方で葬儀の準備を進めてしまった。
当然通常価格での葬儀になってしまった。
まぁそれはともあれ 自分が喪主をすることになり、まず親戚や、姉の友人に姉が亡くなった事を、連絡した。
初めての事ばかりだったので、悲しんでいる余裕すらなかった。
現在は、名古屋と言えば葬儀場は沢山あるが、当時はまだ数も少なく
小さいながらにも、東名の名古屋インターの近くの葬儀場で通夜、告別式をすることになった。
とりあえず葬儀屋さんの進行役の人が来て、仏様が最終の火葬場に行くまでにする事を、教わった。
まず、始めに難関が訪れた。自分の家の檀家のお寺は、名古屋の東区にあるお寺なのだが、葬儀屋の人が、そこのお寺の住職さんの相場は、これだけかかると言いびっくりして葬儀屋の人に相談したら、同じ宗派で、安くしていただけるところがあるというのでそこにお願いした。お坊さんに払うお金は、一括じゃないといけないから
だが今思えば、無理をしてでも檀家のお寺でしてもらえばよかったのかもしれない。
何で、全部の人がそうではないが、お寺の人は、貧乏人や、弱者からも多額の回向料やお布施を取るんだ
ほんとに今の、寺社関係の人は、お金儲け主義の人が多すぎる気がする。
と文句を言っていても始まらないが、名古屋の隣の甚目寺にある
延命寺の住職の方が来て頂けた。
通夜が始まると、凄い数の姉の友達が来てくれた。
通夜には、親父、お袋と自分3人で来ていただいた人に、お礼を言って頭を下げていた。
告別式の朝までろうそくの火を消すことなく、仏様についていなければならず 夜遅くなるとさすがに睡魔が襲ってきた。
すると、姉の高校時代の3人の友人が、自分に私たちが朝まで見ているから弟さんは休んでいいよと言ってくださったので、少し休ませていただいた。葬儀場の上が家族や親族の休憩場所になっていたので、そこで休んでいた。お袋は、今までの看病疲れで半分ダウンしていた。親父はというと何にも疲れてないくせに、グーグー寝ていた。
なんか寝顔を見ていたら、殺したくなった。
勝手に葬儀屋の人に言って礼服の貸衣装を頼んでいるし、ほんとにこんな日なのにむかついていた。
そして日が空けて、告別式の朝になった。
告別式の事はまた次回書かせていただきます。

ラベル:葬儀 葬祭
posted by えいた at 21:46| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、日常、一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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